わたしたちからみた大和鋼業さん
ステンレスの圧力容器—プラントの一部として、30年動く
ウェブサイトで見ていた以上の迫力でした。人の背丈を超えるタンクが、何基も並んでいます。
大阪市城東区。大和鋼業株式会社は、ステンレスの製缶加工、機械加工、バフ研磨という三種の加工を組み合わせ、主にステンレス製の圧力容器を製作しています。創業は昭和14年、現社長の祖父が始めた会社で、取材時点で87年目。工場に入ってまず驚いたのは、その大きさでした。
磨き上げられた円筒形の容器が、何基も並んでいます。ただ社長は、こちらの驚きを少し引き戻すように言いました。「たまたま今は大きいものが多かったので、毎回そういうわけではありません」。ペンキ用の小さな容器もあれば、大型プラントに組み込まれるタンクもある。大きいものの注文があれば大きいものを受け、小さいものの注文があれば小さいものをつくる。大小で仕事を選ばないのが、この会社の受注の姿でした。
納入先は、医薬品、化粧品、食品、半導体。石鹸やシャンプーのように肌に触れるもの、口に入るものをつくるための容器です。半導体では、シリコンウェハーを生成する前段階で使われるタンクもあります。どれも、暮らしのすぐ近くにある製品の一つ手前を支える設備です。
同じ形のものが並ぶことはありません。図面ごとに材料も、接続部の位置も、求められる検査も変わり、そのたびに段取りを組み直します。量産品を同じ手順で繰り返す工場とは、仕事の組み立て方そのものが違います。一品ごとに、はじめから考えてつくっていました。
そうしてつくられた容器は、使い方や環境によっては30年、40年と動き続けます。圧力がかかり、内容物の出し入れを繰り返せば金属疲労が起こる。塩気の多い場所なら寿命も変わる。それでも、30年という時間を見込んで設計し、つくっているそうです。
だから仕事は、納めた時点で終わりません。「30年ぐらい経って、新しいタンクに入れ替えようという話は聞きます」。更新も含めて、また仕事になる。社長自身が入社する前につくられた製品について「そんなものもやっていたんだ」と思うこともあるそうです。30年前のタンクの話が、今の会社に返ってくる。これがこの仕事の時間軸なのだと知りました。
製缶・機械加工・バフ研磨—抱えるものと、任せるもの
溶接を中心に、旋盤・フライス・研磨・検査まで。工程が社内でつながっているのが、この工場の強みです。
大和鋼業は、製缶を軸にしながら、機械加工とバフ研磨、製品検査までを社内に持っています。もともとは溶接がメインで、旋盤が少しあるだけでした。そこから、工程が組みにくいものを中心に、できるだけ外に出さない方向へ、少しずつ社内へ取り込んできたといいます。
加工のたびに製品を外へ運び、戻りを待つ—いわゆる横持ちが減れば、工程全体を自社で調整できます。機械加工を終えた部品を溶接担当がその場で見て、研磨や検査で気づいた点を前工程へ返す。別々の会社に分かれていれば、連絡と運搬が必要になる場面です。設備の数より、工程がつながっていることに意味があります。
扱う材料は、薄物と厚物がおよそ半々だそうです。機械加工を社内に持っていることで、溶接だけでは形にしにくい部品まで自分たちで仕上げられる。受注できる仕事の幅が、そのまま設備の構成に表れています。
タンク一式ではなく、旋盤だけを頼まれる仕事もあります。お客様から支給材を預かり、表面を少し落として返す。同業者から円盤の加工だけを依頼されることもある。必要とされた工程だけを引き受けられることが、そのまま次の取引の入口になっていました。
ただし、何でも抱えるわけではありません。バフ研磨は、ほとんどの製品に必要になる工程です。社内でやるのは部品や小物、それに外へ出す前の事前バフまでで、物量の大きい本研磨はバフ屋さんの力を借りています。ロール曲げも同じでした。以前は自社設備で全部やっていたそうですが、今は板を買ってロール屋さんへ直送し、巻いてもらったものを受け入れて溶接へつなぎます。
「ロール屋さんにやってもらったほうが早くてきれいなんですよ」。いろいろ試行錯誤した末、コストも精度も安定供給も全部加味して、外のほうがいいと会社として判断した。餅は餅屋、というわけです。
内製化を進めてきた会社が、必要に応じて工程を手放す。基準は「社内でできるか」ではなく、「製品にとってどちらがいいか」。一貫加工とは、すべてを一社で抱えることではなく、完成までの責任を途切れさせないことでした。
製作サイズは、小物の1点物から直径3.5メートル前後まで。持ち上げるだけならもっと大きなものも入るそうですが、工場内で旋回させ、作業者が安全に加工することまで含めて、そのあたりを上限に置いているといいます。
厚板を手で切り、大径を回す—そして、漏らさない
大径の円盤を削り出す正面旋盤。この大きさを回せる工場は、近隣にもそう多くありません。
工程が社内でつながっている、というのは資料の上の話ではありません。工場を歩くと、その一つひとつが人の手の仕事として現れてきます。
タンクの蓋にあたるアールの部分は購入品ですが、そこへ開ける穴は自社の仕事です。しかも、プラズマで手で切っていきます。厚みのある曲面に円周を追って穴を開けるので、平らな板を機械で抜くのとはまったく別の作業になります。楕円に見える線を、狙った位置と形へ、手の動きで合わせていきます。
ボルト穴はラジアル盤で開けます。「要はボール盤の親玉みたいなものです」。蓋と容器を乗せた状態で貫通させ、締め付け用の穴を通す。噛み合わせがずれれば、ボルトは通りません。設備は平成初期のものですが、現役です。穴の数はお客様の指示次第で、多い時もあれば少ない時もあるそうです。
旋盤エリアには大小の設備が並びます。ほとんどが1点物です。中でも目を引いたのが正面旋盤でした。「この大きさをやっていらっしゃるところは、本当に僕らの近くもなかなかなくて」。最大でこの円盤より一回り大きいものまで回るそうで、先日は愛媛の同業者から円盤加工だけを依頼されたといいます。同業者が県を越えて頼んでくる設備と腕が、この工場にあります。鋳物材からここまで削り出すのに、2日半ほど。
手を動かしているのは、20代と30代が多い人たちでした。そして、そのほとんどが溶接や機械加工、非破壊検査の資格を持っています。若い現場に、技能が積み上がっている。工場を歩いていて、そのことが自然と目に入りました。
そして、つくり上げたタンクは必ず検査を通ります。圧力容器で最も避けなければならないのは、漏れることだからです。工場の一角には、実際に水を張って確かめるための場所がきちんと設けてありました。
取材の前日には、4トンほど入る大型タンクへ丸1日かけて水を張ったそうです。しかも4基いっぺんに。「あんな大きなタンクが4基いっぺんにあるのは、なかなかない話なので迫力がありました」。水を入れるだけで1日かかり、抜くのにも時間がかかる。それでも毎回、省きません。4基を同時に検査できる場所と段取りがある。それだけで、この工場が引き受けている仕事の大きさが伝わってきます。
工場内は明るく、床は塗られ、安全通路に物が出ていません。数トンの製品をクレーンで動かす現場で、動線がきちんと空いている。ここまでの加工を担うのは、この場所で毎日働く人たちです。
大型設備が並ぶ工場ですが、印象に残ったのは設備の数ではなく、任せ方でした。社内へ取り込む工程、専門業者へ渡す工程、平成初期の機械で続ける工程。どれも「自社でできるか」ではなく、「製品にとってどちらがいいか」で決められています。
工程の判断そのものも、物の流れを一番よく分かっている現場の長に委ねられているそうです。案内していただきながら、社長が繰り返し現場の人の名前を出されるのが印象に残りました。設備を見せる工場見学ではなく、人を見せる工場見学でした。
社長インタビュー
当社は、ステンレスの製缶加工、機械加工、バフ研磨、この3種の加工を複合的に使用して、主にステンレス製の圧力容器を製作し、販売しております。
我々が実際にお金を頂戴する相手は、その間に入るプラントエンジニアリング会社さんです。そのエンジニアリング会社さんがどこをお客様としているかによって、我々が納める先の業界が変わります。
こういう仕事をしていると、世の中のトレンドがよく分かります。今、どこに力が入っているのかが分かります。今年でいうと、医薬でしょうね。
納めた容器は、お客さんのところで配管や回転機器をつないで、初めて設備として動き出します。我々が担っているのは、その設備を成り立たせる一つの部分です。図面どおりに、確実につくることが仕事です。
まずは材料状態で検査します。不純物がないか、その材質そのものがきちんとしたステンレスなのかを確認します。我々は国産のステンレスだけを使用しますので、ミルシートもきちんと入手したものを使っています。
我々が一番気にするのは、タンクなので漏れることです。特に内容物が液体のものが多いので、水圧がどうしてもかかります。初めは漏れていなくても、実は中に亀裂があった場合、しばらく経って割れることも、ないとは言い切れません。だからカラーチェックでスプレーを吹いて表面の傷を見て、実際に水を張る検査もしますし、水や空気で圧をかける気密検査も毎回行います。
製作工程についても、ほとんどの人が資格を持っています。溶接であれば普通ボイラー溶接士やステンレス溶接技能の資格、旋盤加工、フライス加工、非破壊検査など、それぞれ資格を持っています。何気なくやっていますが、全員資格持ちなので、そういった資格所有を技能の担保としてお客様に説明しています。
検査が厳しい業界なのかと聞かれても、我々はそういうことばかりやっているので、それが厳しいのかどうかは正直分かりません。ほかと比べたことがないからです。唯一そう感じたのは、原子力関係の図面を見た時でした。求められる管理項目の性格が、我々が普段扱うものとは大きく異なっていて、これは専門に特化した設備で担うべき領域だと判断しました。自分たちが確かな品質で応えられる仕事を見極めて、そこに責任を持つ。それも品質を守る仕事のうちだと思っています。
我々は製缶業者です。その中で、旋盤やフライス盤の機械設備、バフ設備を社内で持ち、製缶から機械加工、研磨までを一括してできることは、うちの強みだと思っています。
魅力面でいうと、若い人材がいることです。発注者の方々から聞くと、平均年齢が若い会社というのは長く付き合いができると言っていただけます。そこがすごく魅力的だと言われて、お仕事を頂戴するケースが多いですね。
20代、30代の人がたくさんいます。平均年齢は今は少し上がって37歳ぐらいだと思います。2026年7月からパートの女性を4人ほど採用しまして、40代の方が多かったので、少し上がったのだと思います。
うちの会社は、僕の祖父が作った会社です。今年で87年になります。やはり、この会社を維持存続させていくことに重きを置いています。維持存続するためにどうすればいいかを言葉にしたのが、経営理念です。
「物心両面の幸福」という言葉です。うちで働いてくれている社員たちがまず幸せにならないことには、お客様も幸せにならないのではないか、という意味を込めた言葉です。実は、京セラさんの経営理念に深く共感して、参考にさせていただきました。お金と働きがいの両方が満たされていないと、会社は続かない。その考え方に、素直に学びました。
以前は父が作った経営理念だったのですが、長かったんです。A4で2枚ぐらいありました。気持ちは分かるけれど、これはみんなには伝わらないと思いました。社長になってしばらくしてから、こちらに変えました。
2005年に戻りました。その前は製造業とは全然違う、ショッピングモールを作る会社にいました。テナントさんに「こんな百貨店を出しませんか」と交渉したり、フードコートを作るために夜中に現場へ行って職人さんたちにお願いしたりしていました。現場のマネジメントや手配のようなことです。
帰ってきたのと同じタイミングで、この会社の営業部長さんが辞めてしまいました。その入れ替えのような感じで入りました。僕も何も分からなかったので、分からないままお客様のところに行く日々を過ごしていました。
父と揉めたことは1回もありません。きれいに役割分担ができていて、父はメインのお客様をずっと相手にしていて、僕はそれ以外のお客様を担当していました。毎日報告を上げるとか、進捗を聞かれることも一切ありませんでした。
2005年から12年経って、父が70歳で辞めるということになりました。兄がいまして、その兄がやるのか、僕がやるのか、どちらもやらないのか、三択で選べと言われました。兄弟で話して、僕がやることになりました。
初めは父が会社に残って、二人三脚で教えてもらいながらやるものだと思っていました。ところが期首に「会社のハンコを渡す」と言われて、それで全部終わりでした。いきなりです。引き継ぎらしい引き継ぎはありません。お客様のところには1回だけ、「こいつが次の社長だ」と紹介されたぐらいです。
父からは「これはもうお前のものだ。お前が好きにしたらいい。ただし、その会社がどうかなった時には、お前が責任を取れ」と言われました。経営者向けの生命保険にも入れられました。冗談でも何でもなく、リアルにそういう話を親子でした。後にも先にも、一番インパクトのある会話でした。10年近く前ですが、鮮明に覚えています。
その時、会社は債務超過でした。ものづくりの会社なので借入金は当然ありますが、長期借入金には漏れなく個人保証が全部ついていました。ハンコをもらって次にやった仕事は、銀行や信用金庫へ行って、保証人として書類にハンコを押すことでした。細かい字がびっしり書いてあって、「これ何ですか」と聞いても「こういうものなので」という説明しかありません。10分ぐらいずっと押し続けて、次の書類が出てきて、また押す。それが社長になって初めての仕事でした。
1年目に何をしたか、記憶がほとんどありません。忙しすぎて、その日に何をしたかも覚えていない。プレッシャーは相当ありました。
ただ、本当に運が良かったんです。就任して2年目ぐらいから、化粧品メーカーさん向けのタンクが一気に増えました。中国向けに、メイド・イン・ジャパンの化粧品がたくさん売れていた時期です。それがすごく好調で、3年、4年ぐらいで個人保証を全部外しました。その後コロナになりましたが、一瞬少し下がっただけで赤字にはならず、コロナ融資の借り換えをしていったら、初めに借りていたものは全部終わりました。タイミングだけではないと思いますが、何とか生きてきたという感じです。
僕が社長になった時、従業員は12人でした。今は倍近くになっています。
5Sの「一作業一片付け、一作業一清掃」です。現場で事故が起きるのは、不注意であったり、整理整頓ができていなかったりすることが多いと思います。現場には直接物を置かないこと、安全通路を空けることは徹底しています。
始まりは単純で、汚いのが嫌だっただけです。うまく回っている会社は、どこもきれいです。じゃあ、きれいにしたらうまく回るのではないかと思いました。うまくいっている会社が普段やっていることを真似してみようと。
大先輩の社長に、「ちゃんと回っている会社は、従業員のトイレと従業員の食堂と大きなゴミ置き場を見る。ここが汚いところは何か問題がある」と言われました。これは真似できます。トイレ掃除もできますし、ゴミ箱の掃除もできます。言うだけではなく、僕も最近は暇があれば掃除をしています。
僕が社長になる前とは全然変わりました。当時は何が必要なもので、何がいらないものなのかも分からない状態でした。床は完全にコンクリートがむき出しで、照明も水銀灯で、点灯に時間がかかるものでした。半分ぐらいは古くて薄暗く、日中でも入口のシャッターを開けて工場を見ると、奥が見えませんでした。何をやっているのか、相手のこともよく分からない。怖い感じでした。
うまくいっている工場はみんな明るい。物理的に光があるんです。じゃあ明るくしようということで、LEDに全部替えました。それでも暗いので、ライトを増設しました。だいぶ足して、ライトだらけになりました。それでも明るくならない。どうしたら明るくなるのかと思ったら、床でした。床を一回塗り替えたら、ものすごく明るくなりました。反射するからです。
取材は社長の応接室で。壁には、会社が積み重ねてきた表彰状が並んでいました。
始業は8時15分、定時は16時45分で、昼休憩が45分あります。忙しい時は、人によっては月40時間ぐらい残業になることもあります。ただ、僕が「残ってやってね」と言うわけではありません。物の流れを分かっている現場の長たちが、納期に対してどれだけ必要かを判断して決めています。平常時で残業がない時は、16時45分に帰ります。
休日は変形労働時間制です。第1、第2土曜日は休みで、第3以降の土曜日は出勤、日曜と祝日は休みです。年間休日は、今年は100日です。
有給は申告制にしています。風邪などの突発的なものは別として、子どもの運動会があるとか、私用がある時には、理由は聞きません。3日前にB5ぐらいの紙に名前と日付を書いて回してもらえれば、それでオーケーにしています。結婚した人には育休も必ず取るようにしています。
福利厚生としては、誕生日手当があります。誕生日に会社から1万円を現金で渡します。結婚している人であれば、奥さんにも一緒に渡します。毎回、手紙も書いています。奥さん宛てに、便箋1枚ぐらいで気持ちを書きます。本人には手紙は書きません。そちらは直接伝えます。半年に1回、面談をするように心がけています。
飲み会は事あるごとにあると思います。忘年会もありますし、7月の頭には暑気払いでみんなで居酒屋へ行きました。初めは下の工場に持ち込みでやっていたのですが、後片付けが面倒になり、もっとお金をかけて外へ行こうということになりました。
十数年前なら僕が声をかけていたと思いますが、今は中から「やりますよ」と発生します。グループLINEで出欠を取って、居酒屋の予約までみんながやってくれます。僕はお金を持っていく役割です。だいたい社員の8割ぐらいは参加していると思いますが、小さい子どもがいる人などには無理は言いません。
最近は外国人の社員も増えてきたので、飲酒や食べ物にも気を遣うようになりました。出身の国や宗教、人によって、食べられないものがそれぞれ違います。牛や豚が駄目な方もいます。以前は焼肉によく行っていましたが、今はみんなで囲めるようにと、だいたい海鮮居酒屋です。ただ、生魚が苦手な人もいるので、釜揚げなどを頼んでいます。
ほかにフットサルをやっています。初めは昼休みに屋上でやっていたのですが、あまりにもドタバタして怖くなってきたので、鶴見緑地公園のフットサル場を月に1回借りるようになりました。人数が足りなくなって「友達を連れてこよう」という話になったら、友達がたくさん来て、いつのまにか社員のほうが少なくなりました。今は大和鋼業で借り切っているのに、行くと大和鋼業ではない人たちがたくさんいて、自走しています。
だいたい25人ぐらい集まるので、5チームに分けて、ミニゲームを入れ替わりで3時間やっています。参加費は取っていません。遅れて来てもいいし、途中で抜けてもいい。参加資格も特にありません。高校生がいたこともあります。僕がやりだしてから10年近く続いていますが、僕はみんなのことを顔でしか知りません。どこから来た人か分からない人もいます。場所だけ提供している感じです。
やはり成長してほしいです。僕たちは手を動かしてものをつくる仕事なので、技術の向上が一番メインになると思います。毎日一生懸命やって、知識と経験を積み上げていく。それを対外的にも分かりやすくするために、資格を取ってほしいと言っています。技能が身についている前提になりますし、本人のモチベーションも上がります。
ただ、講習なら行けば修了証がもらえますが、資格にはペーパーテストや実技テストがあります。それに対して頑張るのはハードルが高いようです。何も言わずに「残ってやれ」と言っても、なかなか残って勉強も練習もしません。だから全部残業扱いにしています。勉強をするなら残業代をつけます。1時間でも2時間でもいい。やりたいだけやっていいと言っています。
それでも、やらないんです。練習していても、終業後にタイムカードを切ってしまうことがあります。「切らせてくれ」と言われても、「駄目」と言っています。練習するならオンタイムでやってくれ、と。お金をもらったからにはちゃんとやらなければ、というプレッシャーがあるのかもしれません。落ちたらどうしよう、という気持ちもあるのかもしれません。
別に落ちても怒りません。「残念だったね。また次に頑張ろう」というだけです。受かる、落ちるは水物です。努力をせずに受けるのは考えものですが、やった上で駄目なら、また次に頑張ればいいという話です。
技術を身につけられるところでしょうね。僕が資格、資格と言うのは、大和鋼業の技術の底上げという意味ももちろんありますが、資格は個人につくものです。会社ではなく本人につきます。
仮にこの会社が駄目になって、よそに転職しなければならなくなった場合にも、資格は持っていけます。次に使えます。そのための保険としてでも持っておいてほしいと思っています。うちだってどうなるかは分かりません。潰さないつもりではありますが、中小零細企業は世の中の変化に左右されます。資格がすべてとは言いませんが、あって損するものではありません。自分を助けるものになる可能性があります。
うちは資格を取りやすい環境だと思います。溶接をやっている人が旋盤の資格に挑戦してもいいですし、検査をやっている人が簿記の資格を取っても構いません。知識の幅が広がります。お金は全部会社が出しますし、試験に行くのも全部就業時間扱いにします。
電気工事士、クレーン、非破壊検査、旋盤、フライス盤、溶接など、全部取ってもいいです。今、僕が一覧にしている資格を全部取得できたら、資格手当だけで20万円を超えます。工場勤務に必要と思われる資格であれば、きちんと手当をつけます。せっかく大和鋼業に縁があって来てくれたのだから、チャレンジしてほしいと思っています。
とにかく若いのはいいと思っていました。社員が友達を呼びたいと言えば、「とりあえず連れてこい」と言って入れていきました。今の30代のメンバーまでは良かったです。僕が社長になって以来、30代以上で辞めた人はいません。
ただ、20代は少し違いました。今の日本人の20代は、定着が難しいと感じています。早い人は数か月で辞めたこともあります。長い人でも6年、7年ぐらいでした。こちらはできる限りのことを提供していたつもりでしたが、求めるものが違うのだと思います。
人が辞めるというのは、思っている以上にこちらのダメージが大きいです。せっかく入れて、仕込んで—僕らの仕事は、何も知らない子が入ってすぐにできるようになるものではありません。最低3年、4年、5年やって、ようやく投資した分が会社に戻ってくるかどうかという仕事です。そのぐらいで辞めていくと、実利的なショックもありますし、僕が試行錯誤して考えてやってきたことを全部否定されたような気持ちになります。「あんた失格」と言われたような気になる。
一生懸命やればやるほど、その裏返しになってしまうので、悲しいです。何が駄目だったのだろうと、すごく考えました。そこで悟ったのは、いくらこちらがギブしたところで、それを相手が求めているかどうかは別の話だということです。うちは福利厚生もやっていました。有給もかなり取りやすくしていましたし、育休も必ず取るようにしています。それでも、そういうものがあるから残る、とはならないのだと気づきました。ないよりはあったほうがいいと思いますが、それがマストではないのだと思います。
元気でやってくれていればいいと思います。ただ、この会社に友達を呼びたいと思ってくれる従業員がいること自体は、魅力を感じてもらえていたのだと思っています。
2025年、2026年で、20代の男性社員が3人辞めました。理由はそれぞれでしたが、単純に手が6本なくなったわけです。そうなると、1人当たりの現場の負荷がどうしても大きくなります。そこを何とかしたいと思いました。
ただ、20代の正社員男性が募集してすぐ来るわけでもありません。だから見方を変えて、女性のパートさんを入れました。普段、正社員がやっていた仕事内容を少し分割して、その人がやらなくてもいいような仕事—洗浄や運搬などをパートさんにお願いすることにしました。正社員には、本当に自分たちがやらなければいけないコアな溶接などに集中してもらうためです。
主婦の方で募集したら、一気に応募が来ました。全員採用していたら、4人になりました。世の中の主婦の方たちがこんなに働きたいと思っているのだと、求人に応募してもらって初めて知りました。
皆さん製造業の経験は全くありません。というか、うちの社員はほとんどそうです。1人だけ即戦力の転職者がいますが、残りは全員未経験者です。溶接の「よ」の字も知らないところからです。だから「なんでお前こんなことを知らないんだ」とは、口が裂けても言えないです。自分もそうだったので。
大和鋼業は若さを一つの特徴としていますので、今後も新卒社員は毎年必ず1人ずつ入れていきたいです。ただ、ここはよく誤解されがちですが、日本人の20代は来ません。ハローワークにも出していますが、まず見向きもされません。理由は、休日数がまだ100日だからだと思います。今の20代はそこで離れていきます。120日にするという選択肢もありますが、手を動かして作っている仕事なので、今すぐ勤務体系を変えることは難しいです。
そうなると、日本人の若い人が来ない。それでも人は入れなければいけない。選択肢として外国人になります。今、3年連続で外国人を入れていますし、おそらく5年経ったら5人になっていると思います。今後のビジョンは多国籍化です。これは希望や予想ではなく、そうなります。必然です。
日本人が見向きもしない一方で、外国人は非常に来ます。2025年は1人の募集に20人来ました。2026年2月に大阪府が主催する合同求人説明会に参加しましたが、日本人は2人だけで、ほとんどが外国人でした。今年から入国審査が非常に厳しくなったので、これから日本に来る人たちは本当に優秀でガッツがある人たちだと思います。今であれば、僕たちのような小さい会社でも選べる状況です。5年後は分かりません。ひょっとしたら、こちらが選ばれる側になっているかもしれません。外国人材については、確定未来だと思っています。
我々のような生産加工業では、同業者が廃業することが多いです。僕は立場上、業界団体の役もしているので、期末や年末になると「もう辞めました」「作れません」「吸収されました」という話がたくさん来ます。毎年必ずあります。一方で「独立しました」という話は、十数社が倒産・廃業・吸収された中で1社ぐらいです。そういう会社はどんどん減っています。
そうなると、そこに頼んでいた会社が困ります。うちは年間で20回ぐらい展示会に出るのですが、そこで持ちかけられる話はだいたい同じです。「はじめまして」と始まって、図面を持ってきて「これ作れますか」と聞かれる。見ると平成30年など昔の図面だったりします。分かった上で「どこかで作らせていますよね」と聞くと、だいたい正直に「そうです」と答えます。
「なぜうちに来たのですか」と聞くと、「今お願いしているところはちゃんとやってくれているけれど、社長が80歳を超えている」「従業員さんも60代後半で、今はツーカーの仲で作ってもらえるけれど、来年、2年後はやってくれているか分からない」と言われます。跡取りもいないようだ。だから今のうちに新しい依頼先を探している—それが9割ぐらいです。
その点で、僕は今48歳です。同業の中ではまだ若いほうですし、働いている人にも先があります。5年後、10年後も安定したベンダーでい続けられるだろうと判断してもらいやすい。すぐに大量の仕事が来るわけではありませんが、第2ベンダーという立ち位置で、少しずつ仕事を動かされることがあります。いずれ完全に切り替わるかもしれません。残った者勝ち、残存者利益だと思っています。
うちが、その人にとっていい会社かどうかは分かりません。「素晴らしい会社だからぜひ来てください」とは言いませんし、言えません。小さい会社ですから。探せばいい会社はたくさんあるはずですが、そのいい会社がその人にとっていい会社なのかは分かりません。
求職者の方々に言えることは、運と縁とタイミングです。うちがあなたにとっていい会社かどうかは、僕自身にも分かりません。それはご自身の目でいろいろ見て判断してください。
今働いている人たちは、運と縁とタイミングが重なって、今この瞬間、大和鋼業で働いてくれています。心の底でどう思っているかは分かりませんが、みんながハッピーになってもらえるように、僕ができる範囲でいろいろ施策を行っています。
印象に残ったのは、人へ向かうお金と時間の使い方です。誕生日には奥さんへ便箋1枚の手紙を書く。資格の勉強も練習も試験日も就業時間として扱い、遠慮してタイムカードを切ろうとする社員には「駄目」と言う。月1回のフットサルは、いつのまにか社員より外から来る人のほうが多くなっても、10年続いています。「場所だけ提供している感じです」と笑っておられました。
そして、「資格は会社ではなく本人につきます」。この会社を離れることになっても持っていけるものを、会社の時間とお金で持たせておきたいという考え方です。人を引き留めるための言葉ではありません。だからこそ、この言葉で残る人がいるのだと思いました。
取引先から見た大和鋼業さん
取材当日、たまたま同社を訪問されていた取引先の方に、少しだけお話を伺うことができました。産業機器メーカーのご担当者で、液処理装置に使う容器を長く発注し、毎年の工場監査でも現場を見てこられた方です(ご希望により社名は非公開とさせていただきます)。発注する側から、この工場はどう見えているのか—思いがけず貴重な時間になりました。
この方の会社は、産業機器メーカーです。もとをたどれば、大和鋼業とは創業の時期からの付き合いになるといいます。液処理装置に組み込む容器を長く発注し、暑い日には「ここで仕事をさせてくれ」と立ち寄れるほどの距離感で、今も定期的に足を運んでこられました。長く見てきた人だからこそ話せることを、いくつも聞かせていただきました。
外から見て一番違うのは、作業環境だそうです。社長の代になってから工場のビジョンが変わり、若い人が入ってきても働ける場所へ、少しずつ整えてきた。その移り変わりを、毎年の訪問の中でずっと見てこられました。「値段はいい値段ですけど、とにかく環境がいいです」。安さで選ばれている会社ではないんです、と念を押されました。安いから頼むのではなく、任せられるから頼む。発注する側の言葉として、それは何よりの評価だと感じました。
有資格者を増やすことを大事にしている点も、毎年の工場監査を通して見てきたそうです。取得させて終わりではなく、資格の更新まで含めて管理している。溶接の担当者が別の工程もこなせるように、多能工化も進めている。「ほとんどの仕事をみんなでカバーできるような感じを目指そうとされている」。誰か一人が抜けても現場が止まらない。発注する側にとって、それはそのまま安心につながります。いろいろなスキルを持つことは、本人にとっても必ず財産になります、と言い添えられました。
そして、身につけた技能に手当という形で応えているところに意味がある、とも話されました。働く人は、生活のために働きに来ている。だからこそ、努力して得たものを、きちんと収入として返す。当たり前のようでいて、それを続けている会社は多くありません。技能を求めるだけでなく、求めた分をお金で返す。そのことに、この方は一番の誠実さを感じておられるようでした。
もう一つ挙げられたのが、経営数字の開示です。売上から利益率、どのお客様がいくらぐらいで、利益率はどのくらいか。そこまで社員へ発表しているといいます。数字が見えれば、「だからどうするんだ」を現場も一緒に考えるようになる。同じ仕事でも、やり方を変えれば利益率は上がります。だから価格の相談も、どちらかが一方的に譲る交渉にはなりません。「ウィンウィンじゃないと続けられない」。購入品を安く手配して渡す、運賃がいるなら自分が持つ。お互いが利益を出せる方法を一緒に探せる。数字を隠さないからこそ成り立つ関係だと、この方は言います。取引が長く続いてきた理由が、そこにありました。
最後に話されたのは、技術を渡すことの難しさでした。この仕事には、マニュアルにしきれない部分がどうしても残ります。図面や手順書だけでは伝わらず、結局は誰かがそばについて、失敗も一緒に見ながら教えるしかない。ところが今、その「教える人」と「教わる人」の両方がそろっている会社は、業界の中でも少なくなってきているといいます。ベテランだけでも、若手だけでも、技術はつながりません。両方がいて、日々の仕事の中で受け渡しが起きている。それができているこの会社が羨ましい、と率直に話されました。
失敗も含めて経験を積める場所であることが、人を育て、技術を残していく。長くこの工場を見てきた取引先の方の言葉は、社長がインタビューで語っていたことと、まっすぐ重なっていました。
社長の話を聞いた直後に、外の方の話を聞けたのは幸運でした。作業環境、資格、技術を渡すこと。挙げられた点は、社長がご自身で語られたことと重なっていました。
若い人が、失敗も含めて経験を積める場所であること。長くこの工場を見てきた取引先が、そこに一番の価値を見ていたのが印象に残りました。それが、この会社が選ばれ続けている理由なのだと思います。